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2012年05月04日

2004年のアジアンタイフーン



ヘッドロックレーベルからリリースが決まり、京都の大学の学園祭に出演オファーがあり、なんかいい感じに進み始めてたような気がしてた。

レコーディングではアンジーでベースを弾いていたオカやんさんがディレクションをしてくれてとても嬉しかった。
中学の頃アンジーは少しだけど聴いてたからだ。


ヘッドロックのオーガナイザーのナミジンさんはとても顔が広く、行動的で、ポジティブな人だったのでメンバーとも仲がよかった。

兄貴的というよりは本当に友達のような感覚で接してくれた。

ヘッドロックレーベルから出してた大和とも仲良くなった。

大和とはそれからしばらくつるんでた。


アジアンタイフーンのツアーはこれまで以上に回ろうと考えていたけど、関西、四国、関東近郊を回るぐらいしかできなかった。



初めて行った四国では、愛媛でのライブの時、高知県のバンド、MUSHA×KUSHAの梅ちゃんがライブを見に来てくれた。

それまでそんなに親しい間柄ではなかったけど、梅ちゃんの実家に泊めてもらってビールまで頂いた。
夜中は梅ちゃんと岡村靖幸について語り合ったりとても楽しかった。

翌日の高知キャラバンサライでは東京の友達づてで名前は聞いていたスワンと対バンになった。

スワンのライブはとてもカッコよくて、すぐにファンになった。
スワンはその数年後、フジロックのルーキーアゴーゴーのオーディションに合格し出演したほどの実力バンドだ。

その時のライブには当時四国にいたモンパチのサトシも見に来てくれてて、打ち上げではスワンとMUSHA×KUSHAの梅ちゃんと、サトシたちと盛り上がった。
真冬の遠く離れた場所で、その時知り合った人たちとこんな形で呑めるとは、今思えば不思議なもんですね。


それと、あれはどこだったかなー?

滋賀ビーフラットだっけな?ザ☆フッカーズとライブしたなー。

お互い別でツアーしてて、そのへんで一緒にやって。

ライブ後、フッカーズはすぐに移動だったから、EASTWOMAN4人だけで、ちっさい焼き鳥屋で打ち上げしたんだよなー。

本当に寒い日だったけど、車の中で4人泊まって。まあ、ツアーの醍醐味なのだけど。


人気はあまり無かったけど、沖縄から出てきて、バンドでこんなところまでツアーに来て、CDも出せてて。

でもこれで満足してはいけないといつも思っていた。

もうひとつ何か抜き出なければならないと焦っていたように思う。



それから東京に帰ってきたくらいかな?

IN-HIからカメちゃんが抜けるという話を聞いた。

沖縄へ帰るというのだ。


カメちゃんとは高円寺でよく飲みに行ったこともあったし、とても残念だった。



だけど心の中ではなんとなく気づいていたこともあった。





地元沖縄が好きな自分も、いずれそういう日が来るのかもしれない。





EASTWOMANのメンバーみんなもどこかで思っていたかもしれないけど、いずれは沖縄へ帰る日が来るのかもしれないが、そのことに誰も触れずにいた。

バンドをしていないことなんて考えられなかったし、ましてや沖縄に帰るということは、バンドで大成功を収め沖縄から活動するか、このバンド生活が終わるかのどちらかなのかもしれない。





この時点で沖縄から出てきて10年。EASTWOMAN結成8年になっていた。


やはり、何か成果を出さなければならない。

でもあまりこんな話をメンバーにも話さず、自分だけで考えていた。

俺もこの生活が無くなってしまうのが怖かっただけなのかもしれない。






そこで、まだやってなかったこと・・・






そう、ワンマンライブをやってみようという事になった。


2004年のアジアンタイフーン


このアルバムをリリースした頃、アジアンカンフージェネレーションがブレイクし、アジアンという漫才コンビを知ったのもこの頃だったように思う。なんかアジアンづいてて良い気分ではなかった。
自分でタイトル付けたくせに。






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Posted by メカルジン at 22:11 │ブログ