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2018年08月26日

YOUGAKUロックでたどるわたくしの半生(バンド頑張ってた頃編)

YOUGAKUロックが盛り上がっていた。

UKPOPだけではない。

アメリカも新しい波が来ていた。


グリーンデイ、ランシド、オフスプリングなどのいわゆるメロコア勢も流行っていた。



大好きだったスマッシングパンプキンズも2枚組アルバムを発売し、そのアルバムの「1979」がこの頃を代表する名曲だとわたくしは思っています。




OASISの2ndAlbumモーニンググローリーも大名盤。雪の中バイト帰りの夜道をひとりとぼとぼ帰るときに「champagnesuperNova」聴いて帰ったなー。




そしてドハマりするWeezerの1stに出会いました。Weezerは2ndもハマった






ティーンエイジファンクラブの「Songs from Northern Britain」も名盤。




ケミカルブラザーズ、プロディジーなんかも現れて加熱していった。








いままであまり聴いていなかったU2の当時の新作、All That You Can't Leave Behindは改めてU2を聴くきっかけになった。



そこからU2を掘り下げて聴くようになった。

興味なかったバンドにハマると「なぜ!?当時俺は聞いていなかったのだ!?」とすでに遅い後悔を感じるが、
それでもそのころの俺に楽しみを与えてくれたことを感謝してます。

それ以降、これまであまり聴いていなかったバンドなどをあらためて聴き返すブームがこの僕に訪れるのだった。



で、




つづく。。。   

Posted by メカルジン at 22:48ブログ

2018年08月08日

YOUGAKUロックでたどるわたくしの半生(上京編)

1994年から1995年は自分にとって忘れられない年でした。
それはこの半生に大きく影響してくる出来事や出会いがいくつかあったからだ。

イン・ユーテロが発売してから半年が過ぎたあたりだろうか、
NIRVANAのカートコバーンが自殺した。

若くして亡くなったロックスター、ブライアンジョーンズ、ジムモリソン、ジミヘン、ジャニス、ジョンレノン、シドヴィシャス。

そんな出来事が実際起こってしまったことにとても衝撃を受けたのだった。



そのころ洋楽ロックはローファイブームがおこった。

BECKのルーザーはとても新鮮であった。アルバム『メロウゴールド』、そしてペイブメントの『クルーキッドレイン』などをよく聴いた。



上京した頃は何もかもがうまくいかないことばかりだった。
バンドをしに来たのにそれもできず、
唯一の楽しみといえば音楽を聴くことだけだった。

名作が数多く発売された年だった。

これサイコー

当時の自分は雑誌『ロッキンオン』が好きで毎月買って読んでいた。そこからいろんな情報を得ていたんだけど、
あるときロッキンオンにデビュー前のイギリスの新人バンドがデカデカと紹介されていた。
それがOASISだった。

OASISにはハマった。1stアルバム『Definitely Maybe』を聴くと今でもつらかったころを思い出す。。
ああ、また思い出した。。。



音楽しか楽しみがなかったころ、もう一つの大きな出会いがあった。


それが
The Beatles
であった。




親父が聴いていたけど、それまで興味を示さなかったBeatlesを聴くようになった。

あれは確かアンソロジーが発売されるのがきっかけだったかな?


これもハマった。



ひと月に何枚もBeatlesのアルバムを買った。



なんで今まで聴かなかったのだろうと思いましたよ。知れば知るほどBeatlesは面白かった。
バンドとしての理想の形がそこにはあったように思えた。



ブリットPOPが流行っていたね。

スウェード、ブラー、パルプ、ドッジー、スーパーグラスなんかも懐かしい。

レディオヘッドはベンズのツアーを当時の渋谷公会堂まで見に行った。




東京のすごかったところは洋楽バンドのライブが見れることだった。

20歳そこらの自分にとってはとても嬉しくて行きたいライブはできるだけ行った。お金があったらもっと行っていたと思う。

東京で初めて行ったのはマッドハニーのライブだった。

それからダイナソーJr.、REM、パールジャムなんかも行った。







生活などはひどいもんで、うまくいかないことばかりだったけど、音楽を吸収することはとても充実していた数年だったと思う。



そんなこんなで

つづく。。。

  

Posted by メカルジン at 16:35ブログ