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2012年04月28日

2000年のクラップハンズ


沖縄のインディーズシーンは盛り上がっていた。

東京での深夜のインディーズ番組では沖縄インディーズ特集が組まれるほどだった。
その番組で沖縄のバンドを知ったくらいだ。
沖縄でもやってたのかな?


EASTWOMANも沖縄でライブを結構やるようになっていた。

レコ発の時に出会った中に、KEN子という俺と同い年の女の人がいた。

KEN子は自分もバンドをやっていたが、沖縄のインディーバンドをとても応援している人で、自分が主催していたクラップハンズというイベントを無料で開催していた。


ありがたいことにEASTWOMANはKEN子に気に入られ、クラップハンズに呼んでもらえるようになった。
とても面白い人だったのでメンバーみんなとも仲良くなった。


そのころ東京でもインディーズバンドが十数組出るの大きなイベントが赤坂ブリッツであり出演させてもらった。

ストリート系パンクバンドとかのイベントではなく、ギターロックとか、ポップとかのバンドが出演したイベントだった。

さすがにでかい場所だったのでどうなるかと不安だったが、お客さんは満員くらい入った。

ハックルベリーフィンやババメイニアやバンジージャンプフェスティバルなどのバンドとEASTWOMANも出演したのだが、お客さんの注目はこの日大トリを務めたバンプオブチキンに集まっていたのだろう。


また、沖縄では宜野湾海浜公園野外音楽堂でインディーズバンドの大きなイベントもあって、スカイメイツや現在ヒトリツチナリで活動している大城大地のザ☆フッカーズとも仲良くなった。

大地には今でもお世話になっています。いつもありがとう。



このイベントの時、ノーズウォターズと楽屋が一緒になった。

ノーズの名前は聞いてたけど、会うのは初めてだった。

楽屋の入ると超二日酔いのノーズメンバーがテーブルの下とかに寝てて、笑えた。

そのイベントも盛り上がり、大トリのモンゴル800の時には最高潮に達していた。

イベントの打ち上げがあると聞いていたが、酔っ払った俺は地元の友達と飲みたかったので、メンバーに黙って会場を脱出し、地元の友達と飲みに行った。

翌日、もちろんメンバーには怒られ、ギターの剛には「信じられん!」とキレられた。
実の弟に本気でキレられると、さすがの兄貴も、ちゃんとしないといかんなーと改心しました。



と、このように充実した日々が続いているように見えますが、実は俺たちは重大なミスを犯していた・・・




次のリリースをまったく考えてなかったのだ。


セルフスピードが発売してすでに一年が過ぎていた。


新曲はアルバムを作れる分はあったから、何とかレコーディングをし、2枚目のアルバム「流星を追え」の発売にこぎつけた。



2000年のクラップハンズ

初めてクラップハンズに出演させてもらった時の写真。県庁前のパレットのクリスマスツリー前にて。
これは1999年12月の写真です。


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Posted by メカルジン at 20:16 │ブログ