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2011年12月07日

温故知新



良い空だった。
思い出す風景は空が多い。

そうです。昔から空を眺めるようになってましたね。実家の周りは何もなくて、学校帰りなどはずっと空を眺めてました。
そして東京八王子でも。渋谷で遊んでも。打ち上げの帰りの始発でも。ツアー先でも。
そして帰って来てからも。

暗い子だ・・・

いや、おっさんか・・・。



伝えたいというよりは聴いてほしいということの方が勝っているのです。

伝えたい言葉よりも俺の醸し出した音を聴いてほしいのが強い。

そこでだよ・・・

歌詞なんてどうでもいいじゃないか。

歌詞なんてものは曲の装飾でしかない。中身が空っぽな言葉でもイイッじゃないか。


と、曲を作るまでは思っていた(正確には今でも少し思っていた)。

しかし違うのだ。歌詞は音楽なのだ。
リズムで伝えること、音色で伝えることの最上級。言葉で伝えるのだ。
おそらく最古の人間は(人間になる前かもしれないが)音だったのだろう。
リズムだったのだろう。それに乗っけて唸ったのだろう(ここは俺の想像ね)。

それが言葉という伝達方法を乗せて今があるのかもしれない(完全に俺談)。

そういうことでの(今回はそういうことにしておいてください)歌詞は最強の伝える手段。これを使わない手はないでしょう。

でも難しい手段でもある。
特にロック(つまりカッコイイ音楽。それぞれが思うカッコ良い音楽)などに使うのにはもろ刃の剣。

とたんにダサくなる(これも俺談。個人の意見です)。


これはあくまで個人の考えであり、他の素晴らしい楽曲を否定するものではございません。ホントだよ!えへへ。



いつも前置きが長くなってしまいますが、俺自身、歌詞は詩であることにこだわっている。
何かに例えたり、こんな感じだという風に例えたり、遠回しかもしれないけど、完結に伝えるよりも遠回しでも感触で伝えたいと思っています。
でも人それぞれ受け取り方は違うと思うのでそれはそれで良いのですが、発する言葉はそれで良いと思っています。

言葉の表現は無限にある。
時代によってその言葉のチョイスだったりは変わってきてはいる(あれ、そんな話だった?)。

最近の音楽と昔の音楽と比較するのも良いけど、自分の表現をするのなら、今ある音楽はすでに過去の音楽。
でもそれから感じることも沢山ある。

今を否定するよりも、過去、現在、そして未来の言葉で歌詞を書きたい。と思う(だいぶ話が逸れたね!イイネ!)。

温故知新


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Posted by メカルジン at 23:18 │ブログ