2022年03月24日
なんかいろいろ思ったことがあった
3/20(日)那覇Output
『トロピカルコード』
遊びに来てくれたみなさんありがとうございました。
忙しい日々も少し落ち着いたのでここで思ったことを書き残しておこうと思います。
ライブのレポなどはSNSで誰かしらがあげているので、今回自分目線でのライブに至るまでの経緯を遠く遡ったところからの話にします。
このライブに集まったバンド達は地元の耳切坊主以外は東京で集まって出会った間柄です。
その当時はまだ沖縄インディーズブームなどは起こっておらず、ちゅらさんなどの沖縄ブームもなく、さらには安室奈美恵、SPEEDなどの沖縄出身のアーティストのブームの前、東京では沖縄の人が珍しく見られる時代に上京してライブをはじめた人たちです。
INDIAN-Hi、ガスバーナー、ノーズウォーターズ、そしてEASTWOMANなどはそんな中、それぞれ只々音楽がやりたい衝動で東京でのライブハウスシーンに衝撃を受け、時にはコンプレックスも感じながら活動していたように思います。
ボクが沖縄のライブハウスシーンが盛り上がっていると知ったのは、1997年くらいだったかな?
東京のインディーズマガジンのタワレコインディーズチャートで友達のバンド(ブラフマン)が沖縄でランクインしていた。
同い年の友達がCDを出したことも衝撃的だったが、それが自分の地元の沖縄でチャートインしていたことに驚いた。
ブラフマンは沖縄にもライブに行き「沖縄タワレコですごい盛り上がった」という話を聞きました。
沖縄にいた頃はあまり自分の仲間内以外とライブをしていなかったので沖縄のライブハウスシーンがどうなってるかあまり知らなかったけど、沖縄の友人から盛り上がり始めているということは聞こえてきてはいた。
東京のライブハウスで精力的に活動を行なっていたEASTWOMANだったけど、INDIAN-Hiの活動量たるや凄かった。
そしてついに1999年にINDIAN-Hiが、ガスバーナーが、そして我々EASTWOMANで初めてのCDを発売した。
その頃にも地獄車の最初のアルバムのプロモーションで東京に来ていたエンジニアの米須さんに会ったこともある。
当時地獄車のドラムを中学の同級生だったヒロトが叩いていたのでこれも印象的な出来事だった。
EASTWOMAN1stアルバムのレコ発を沖縄ヒューマンステージ、タワレコ(OPAの屋上)でもできたがその後からものすごく沖縄インディーズが盛り上がっていく。
EASTWOMANには声がかからなかったが沖縄発のオムニバスアルバム『飛薬』などが発売、テレビ番組『ブレイクアウト』では沖縄インディーズ特集が組まれたり、モンゴル800が全国的に人気が出たりとあれよあれよという間に盛り上がっていく。
その盛り上がりで東京で地道に活動していたEASTWOMANにも急に沖縄のバンドという風に認知され始めた。
沖縄色も出さず当時流行っていたメロコア、ハードコア色もないEASTWOMANにとって戸惑うことも多かったがその頃に上京沖縄バンドだけで高円寺に集まり飲み会開いたのはとても救いだった。
いつの間にか沖縄でのインディーズイベントにも声をかけてくれるようにもなったけどEASTWOMANは頻発に沖縄に帰ることは無くてあまり沖縄インディーズシーンに馴染めてなかったような気もする。
ただ、KEN子のクラップハンズやザ☆フッカーズはとても仲良くしてくれてた。
そこから耳切坊主、ニュージーランドブラックマウスなども参加したオムニバスアルバム『クラップハンズ!』にも参加させてもらい、同じく参加バンドだったノーズウォーターズとも急激に仲良くなった。
モンゴル800の東京や名古屋でのライブにもスカイメイツなどと出演させてもらったり、東京でも頻繁に行われるようになった沖縄イベントにも誘ってもらえるようになった。
INDIAN-Hiはとても頑張っていてIN-HIと改名しついにメジャーデビューまで果たした。
宮古から上京していたガルフとも出会い、その頃ガルフの裏方みたいなことをしていたのがFAT KAZYAでその後自分のバンドもはじめた。
それくらいの時期にノーズウォーターズがはじめたイベント『キジムナイト』は東京、大阪などで開催されとても盛りあがるイベントにもなっていた。
どこにいっても沖縄イベントはお客さんも入り盛り上がってはいたけど次第にそれも収まっていく。
そしてザ・バカンスと出会う。
キジムナイトの司会もし仲良しのルンルン金城がドラム。ボーカルのキワムはその時初めて出会ったけどライブがカッコ良くてぶったまげた。
東京でのライブハウスシーンにもピッタリなバンドだったので沖縄関係なく活動していった。
沖縄インディーズブームは、沖縄からのバンドをメジャーが押し出す流れになってきててもう自分らとは関係なくなってきてたけど、もともとブームの前から活動していたボクらにとっては特に影響もなく地道な活動が続いていくだけだった。
と、これまで話したようにボクら東京組は沖縄インディーズブームがあったその盛り上がりを妬ましくも羨ましく思うこともあったり、そんなの関係なく進んでいたこともあったりした。
今回の『トロピカルコード』はそんな経験をしてきたバンド達の沖縄への繋がりをカタチにできたイベントだったのでボクはとても嬉しかった。
最後に、沖縄バンドブームとは言いますが、
沖縄での音楽シーンは常にライブハウスから鳴り続いていると思うので、ボクはこれを年代関係なくひとつの音楽シーンとして東京、大阪、に負けないくらい常に盛り上がる定着した文化にできたら良いなぁと思う。
今回の出演バンドと今の沖縄のバンドたちとのライブも面白そうだし、
自分も出来る限りその盛り上がりに繋がれる活動をしていきたいと思うので、
メカルジン、
そろそろレコーディングしてアルバム出したいと思います!
『トロピカルコード』
遊びに来てくれたみなさんありがとうございました。
忙しい日々も少し落ち着いたのでここで思ったことを書き残しておこうと思います。
ライブのレポなどはSNSで誰かしらがあげているので、今回自分目線でのライブに至るまでの経緯を遠く遡ったところからの話にします。
このライブに集まったバンド達は地元の耳切坊主以外は東京で集まって出会った間柄です。
その当時はまだ沖縄インディーズブームなどは起こっておらず、ちゅらさんなどの沖縄ブームもなく、さらには安室奈美恵、SPEEDなどの沖縄出身のアーティストのブームの前、東京では沖縄の人が珍しく見られる時代に上京してライブをはじめた人たちです。
INDIAN-Hi、ガスバーナー、ノーズウォーターズ、そしてEASTWOMANなどはそんな中、それぞれ只々音楽がやりたい衝動で東京でのライブハウスシーンに衝撃を受け、時にはコンプレックスも感じながら活動していたように思います。
ボクが沖縄のライブハウスシーンが盛り上がっていると知ったのは、1997年くらいだったかな?
東京のインディーズマガジンのタワレコインディーズチャートで友達のバンド(ブラフマン)が沖縄でランクインしていた。
同い年の友達がCDを出したことも衝撃的だったが、それが自分の地元の沖縄でチャートインしていたことに驚いた。
ブラフマンは沖縄にもライブに行き「沖縄タワレコですごい盛り上がった」という話を聞きました。
沖縄にいた頃はあまり自分の仲間内以外とライブをしていなかったので沖縄のライブハウスシーンがどうなってるかあまり知らなかったけど、沖縄の友人から盛り上がり始めているということは聞こえてきてはいた。
東京のライブハウスで精力的に活動を行なっていたEASTWOMANだったけど、INDIAN-Hiの活動量たるや凄かった。
そしてついに1999年にINDIAN-Hiが、ガスバーナーが、そして我々EASTWOMANで初めてのCDを発売した。
その頃にも地獄車の最初のアルバムのプロモーションで東京に来ていたエンジニアの米須さんに会ったこともある。
当時地獄車のドラムを中学の同級生だったヒロトが叩いていたのでこれも印象的な出来事だった。
EASTWOMAN1stアルバムのレコ発を沖縄ヒューマンステージ、タワレコ(OPAの屋上)でもできたがその後からものすごく沖縄インディーズが盛り上がっていく。
EASTWOMANには声がかからなかったが沖縄発のオムニバスアルバム『飛薬』などが発売、テレビ番組『ブレイクアウト』では沖縄インディーズ特集が組まれたり、モンゴル800が全国的に人気が出たりとあれよあれよという間に盛り上がっていく。
その盛り上がりで東京で地道に活動していたEASTWOMANにも急に沖縄のバンドという風に認知され始めた。
沖縄色も出さず当時流行っていたメロコア、ハードコア色もないEASTWOMANにとって戸惑うことも多かったがその頃に上京沖縄バンドだけで高円寺に集まり飲み会開いたのはとても救いだった。
いつの間にか沖縄でのインディーズイベントにも声をかけてくれるようにもなったけどEASTWOMANは頻発に沖縄に帰ることは無くてあまり沖縄インディーズシーンに馴染めてなかったような気もする。
ただ、KEN子のクラップハンズやザ☆フッカーズはとても仲良くしてくれてた。
そこから耳切坊主、ニュージーランドブラックマウスなども参加したオムニバスアルバム『クラップハンズ!』にも参加させてもらい、同じく参加バンドだったノーズウォーターズとも急激に仲良くなった。
モンゴル800の東京や名古屋でのライブにもスカイメイツなどと出演させてもらったり、東京でも頻繁に行われるようになった沖縄イベントにも誘ってもらえるようになった。
INDIAN-Hiはとても頑張っていてIN-HIと改名しついにメジャーデビューまで果たした。
宮古から上京していたガルフとも出会い、その頃ガルフの裏方みたいなことをしていたのがFAT KAZYAでその後自分のバンドもはじめた。
それくらいの時期にノーズウォーターズがはじめたイベント『キジムナイト』は東京、大阪などで開催されとても盛りあがるイベントにもなっていた。
どこにいっても沖縄イベントはお客さんも入り盛り上がってはいたけど次第にそれも収まっていく。
そしてザ・バカンスと出会う。
キジムナイトの司会もし仲良しのルンルン金城がドラム。ボーカルのキワムはその時初めて出会ったけどライブがカッコ良くてぶったまげた。
東京でのライブハウスシーンにもピッタリなバンドだったので沖縄関係なく活動していった。
沖縄インディーズブームは、沖縄からのバンドをメジャーが押し出す流れになってきててもう自分らとは関係なくなってきてたけど、もともとブームの前から活動していたボクらにとっては特に影響もなく地道な活動が続いていくだけだった。
と、これまで話したようにボクら東京組は沖縄インディーズブームがあったその盛り上がりを妬ましくも羨ましく思うこともあったり、そんなの関係なく進んでいたこともあったりした。
今回の『トロピカルコード』はそんな経験をしてきたバンド達の沖縄への繋がりをカタチにできたイベントだったのでボクはとても嬉しかった。
最後に、沖縄バンドブームとは言いますが、
沖縄での音楽シーンは常にライブハウスから鳴り続いていると思うので、ボクはこれを年代関係なくひとつの音楽シーンとして東京、大阪、に負けないくらい常に盛り上がる定着した文化にできたら良いなぁと思う。
今回の出演バンドと今の沖縄のバンドたちとのライブも面白そうだし、
自分も出来る限りその盛り上がりに繋がれる活動をしていきたいと思うので、
メカルジン、
そろそろレコーディングしてアルバム出したいと思います!
Posted by メカルジン at 10:05
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