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2012年05月09日

2007年アルバムタイトル『EASTWOMAN』


EASTWOMANは5thアルバムのレコーディングのため、神奈川某所にある民家を改造したスタジオに泊まり込みをした。


冬のとても寒い時期で、離れにある部屋でレコーディングをして、夕方位に買い出し行って、みんなで夕食を作り、夕飯食べたあとにまたレコーディングして、部屋で寝て、朝起きてレコーディングして・・・


音楽漬けの数日間だったがとても面白かった。

ハイロウズでドラムを叩いていた大島賢治さんにプロデュースしてもらったこのアルバムは、新曲も数曲あるが、EASTWOMAN過去4枚のアルバムに収録されていた曲も再録音した、ある意味ベストアルバム的なものになった。

そういうことでアルバムタイトルをセルフタイトル『EASTWOMAN』と名付けた。


当時、宮崎で東国原知事誕生というニュースを見ながらミックス作業を待っていた。


大島さんから学んだことはとても多かった。

曲の膨らませ方、リズムとは何なのか、ライブを魅せるということ。

とても刺激になったし、今更ながら音楽の深さとか楽しさを教えてもらった。



EASTWOMAN発売後はライブを重ねた。

レコ発は今は無き高円寺ギアでやった。

レコ発の一年後位にビルの中で火事があり、それと共にギアも閉店してしまった。



ツアーではいつもお世話になっている大阪はもちろん、また高知県でスワンとライブを行った。
そのとき食べさせてもらったカツオのタタキは最高に美味しかった。





曲を作って、練習をして、ライブをして・・

結成当時から常に続けてきた活動に、今では、

レコーディングして、CDを発売して、それを持ってツアーをして・・・


この数年間でいろんなことを経験して、

楽しみ

笑い

泣き

感動し

出会い

別れ

傷つき

傷つけ

ボーッとしたり

がんばったり

悔しかったり

嬉しかったり


まあ、とにかくいろいろ・・・


これまで大成したというわけでもないし、有名になったわけではないけれど、





バンドをやってて良かったという思いはずっと思っていた。




これは周りでサポートしてくれたみんなのおかげでもあるし、EASTWOMANにたずさわってくれた人たちのおかげであり、


何よりもメンバーのおかげであったと思う。









でも、一番心配だったことは、みんなのこれからだった・・



どのバンドも同じかもしれないけど、EASTWOMANにとってのバンドというものは運命共同体であった。


誰かがやめたり、休まない限り、動き続けていく・・・



止まったことなど一度もなかったし、常にメンバーが生活よりも何よりも、プライベートよりも


バンドのことを優先に考えてくれていた。



そしてあるとき初めて、


メンバーの一人が辞めたいと言ってきた。


沖縄へ帰るということだった。



誰も責めはしなかったし、むしろ勇気のあるその発言を俺は尊敬した。

そのメンバーもEASTWOMANに新しくメンバーを入れて活動して欲しいと言ってくれた。



少し、みんなで考える時間があり、結論が出た。




結成してから12年が経とうとしていた頃の話。




EASTWOMANは活動休止を決めた・・・。

2007年アルバムタイトル『EASTWOMAN』



今見るとJimmy'sの包装紙みたいなジャケットだね!いいね!


※Jimmy'sとは沖縄にあるお店です。


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Posted by メカルジン at 17:28 │ブログ