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2012年04月26日

1999年のセルフスピード


それまでメディアで流されていたヴィジュアル系バンドや小室ファミリーなどの人気が引いていく中、巷ではストリート系パンクバンド(ハードコアやメロコアやスカ)やヒップホップ系が盛り上がっていた。
すでに数年前からアンダーグラウンドではそうだったのだけれど、ブラフマンのアルバム「A MAN OF THE WORLD」のロングセラーやドラゴンアッシュのブレイク、そしてハイスタンダードの「MAKING THE ROAD」がインディーズブームを決定付していた。


EASTWOMANはアルバムのレコーディングへ入り、そしてついにファーストショットアルバム「セルフスピード」が発売された。



もう、夢心地のような気分で、発売日にレコード店をまわって、CDが置いてあるのを見ると感動しまくっていた。

そして、レコ発を下北沢シェルターでラブスナイパー、ストレイテナー、ライブを見てファンになったパンクバンド、ザ・ペラーズの3バンドと共に行なった。

ライブにはブラフマンのオザワとロンも見に来てくれてとても嬉しかった。


もちろんツアーも回った。


名古屋、大阪、広島、福岡、などをまわり、そして地元沖縄でのライブも念願叶った。


沖縄時代から友人バンドのガーラ(ニュージーランドブラックマウスの前身バンド)や、その時初めて対バンしたのだが、それから仲良くなったラブマシンガンなどと沖縄レコ発をした。

タワレコの屋上でのレコ発ライブではモンゴル800と対バンし、その時モンパチのサポートドラムを叩いていたスカイメイツの上地アツヨシとは今でもよくつるむ仲になった。


沖縄でも、中学の同級生だったヒロトがドラムを叩いている地獄車や、ティッシュ配りの時知り合ったジャッキーがベースを弾いてたインディアンハイが盛り上がってて、沖縄のインディーズが熱い頃だった。



ツアーから戻った東京でもいろんなイベントに出演させてもらった。

当時、ストリート系パンクバンドが流行っていたけど、いわゆる下北系と呼ばれるギターバンド、パワーポップバンドも盛り上がっていた。

現在ブラックボーダーズの野田くんはジャイアントステップというバンドで有名で、ゴーイングアンダーグラウンドやスナッパーズやバンプオブチキン等のバンドともよく対バンになった。


とにかく忙しくも、楽しくもあり、この音楽生活をもっと充実させたいという欲までもが芽生え始めていた。

ライブをし、ツアーをまわり、戻ったらバイトをして、またライブをし・・・


バイトは休んでばかりだったからお金は無かった。


貧乏ながらも充実してはいたのだが、音楽だけで生活できないもんかと考えたが、そんな余裕等は無かった。


バンドとバイトととの狭間をなんとかこなしていくことに気を取られすぎていて、EASTWOMANがこれからどこに進もうとしているのか、進みたいのかをあまり考えてなく、とにかく今あることに夢中になっていた頃だった。


ただ、この理想がずっと続いていくものだと思っていた。

1999年のセルフスピード


うちの母ちゃんはこのジャケットを見て、「黒いイルカのジャケット」と言ってましたが、正確にはサメです。



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Posted by メカルジン at 17:13 │ブログ