2011年12月05日
自慰的行為にはしたくはない
暑い、寒い、暑い、寒い、暑い
繰り返す沖縄の気候。気候の奇行。
もう、慣れてきました。
音楽を創りだすことに関して言えば、創り出すことを作りあげていかねばならんです。
音楽をやるということで自分が楽しければ良いという考え方も俺はありだと思いますが、俺はそれだけでは嫌なんですね。
何かを伝えて、伝わるようにしたいんです。
何かを伝える・・・。
それは何なのか?
数多くのミュージシャンが同じことを伝えているわけではない。それぞれの想いがあってやっているのだと思う。
具体的に言えるのであれば、みんな音楽という手法を使ってはいない。
音楽という手法で伝えたいわけだと思う。
それが、愛、平和、友情、青春、自我、欲望、静寂、孤独、快楽、性、死、風景、思い出・・・
なんでも良いのだ。
歌詞だけではない。音という音色、曲という表現、声という肉体からの発する生生しさで伝えることなのだ。
誰しもが創った曲には何かしらの意志があり、伝えたいことがあるのだと思う。
金のために作った曲にも、聴いた人が感動する表現があるのだと思う。
自分の曲に何かメッセージがあるのか?
創った自分にもわからないことがあったりもする。
俺的には自分が作った曲は、世に放った時点でもはや自分だけの曲ではないと思う。
聴いた人がその人の解釈で聴けばいいと思う。
もし自分が伝えたいことを相手にわからせたいなら、自分の想いを聴いた人すべての人に「あれはこうでね~、ここではこういう風に言っててね~」などとわざわざ飲みに行って伝えなきゃならん。そんなの嫌だ。
だから曲で伝えることにこだわっている。
俺の伝えたいことは聴けば分かるでしょ?
と言いたいのは山々だが、あえて言わせてもらうと『孤独と激情』だ。
いろいろ解釈はあると思うが、それは構わない。
曲を創りはじめて、こんなことをよく考えていた。
それは今も変わらないし、表現する人はみんなそうだと思う。
こんな話だが、要はこれをひっくるめてポップソングはすべてを飲み込むということなのだ。
思う、思う
とやけに思うを連呼しし続けたけど、
そう思うのだ。
Posted by メカルジン at 01:35
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