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2021年10月23日
1994 カートコバーンがいなくなりオアシスが現れた
なんとなく寝れないので最近考えてたことをブログに書いておく。
この前、オアシスのドキュメンタリー映画を見てきた。
1996年に行われたネブワースでの野外イベントの映画で、この野外イベントがファンの人達にとって特別な思い出となっているという話を中心に描いたドキュメンタリーだった。
もちろんメンバーにとっても特別なイベントだったようで、あの仲の悪いギャラガー兄弟がお互い制作に関わるのだから2人ともネブワースのライブは誇りに思っているのだろう。
ファンの人たちにあれだけ愛されて、自分達もその歓声を受けて堂々としているギャラガー兄弟は確かにあの当時最高のロックンロールスターであったことは間違いない。
当時の自分もそれをカッコよく思えた。
ただ、その数年前まではロックンロールスターというものの見方がだいぶ違っていた。
ニルヴァーナのカートコバーンが1994年に自殺する出来事があった。
僕は高校生の頃からロックミュージックにどっぷり影響されてました。
どんどんショーアップされていくロックシーンが当たり前になっていた時にニルヴァーナの登場は劇的なものだった。
派手に着飾りいつのまにかセレブになっていったロックスター達を軽蔑し、ひたすら自分達の音楽を地に足のついた活動で表現していく様がヒットチャートを駆け上っていく姿は痛快だった。
だけど今度はそのカートコバーンがロックスターと言われるようになった。
急激な売れ方で自分を制御できなくなったのか、誰も信じられなくなったのか、本人がどのような心境だったのか僕にはわからないがカートは自ら命を絶つことになった。
19歳の僕にはショッキングなニュースだった。
ロックスターと言われるものは決してカッコ良いものではなく、むしろ重い十字架を背負わされるもののように思えたし、ロックスターと言われることがダサいと思うようになっていた。
カートが亡くなって数ヶ月後にオアシスのデビューアルバムが発売された。
一曲目のロックンロールスターでは「今夜俺はロックンロールスターだ」と歌い、
名曲リヴフォーエバーでは「永遠に生きたい」と歌う。
カートの死後の暗い風潮を吹き飛ばす強烈なデビューだった。
国は違えど、両者にはハングリーな精神と至宝級な楽曲があるし、対極に見えるが僕には共通するところがとても多くあると感じている。
あの毒舌なノエルギャラガー はカートコバーンの事をやっぱり悪く言うのかなぁ。
まぁそれがあの人のキャラだしなぁ。
と思ってたけどインタビューでこう答えていたことがあったらしい。
「カート・コバーンには会ってみたかったよ。カートには昔から親近感を感じてたからね。同じ左利きだし、目が青いし、俺みたいにビートルズが好きだからね。一緒につるんでバカ話とかしてみたかったよ」
ニルヴァーナの『ネヴァーマインド』については「傑作というのはすべて時の経過とともにますます偉大さを増すものなんだよ。時代に褪せることがないんだ。『ネヴァーマインド』は今聴いても、ロックの未来のような音を鳴らしているからね」
生きていれば今頃はアメリカのジョン・レノンになっていただろうとも語っている。
本音かどうかはわからんがこれを見た時ちょっと涙ぐんでしまった。
ロックスターになったことが原因だったのかわからないが、命を絶ってしまったカートと兄弟の絆を失ってしまったギャラガー兄弟。
両極に見えてやはり共通する何かを感じてしまう。
そんな秋の夜長でした。
この前、オアシスのドキュメンタリー映画を見てきた。
1996年に行われたネブワースでの野外イベントの映画で、この野外イベントがファンの人達にとって特別な思い出となっているという話を中心に描いたドキュメンタリーだった。
もちろんメンバーにとっても特別なイベントだったようで、あの仲の悪いギャラガー兄弟がお互い制作に関わるのだから2人ともネブワースのライブは誇りに思っているのだろう。
ファンの人たちにあれだけ愛されて、自分達もその歓声を受けて堂々としているギャラガー兄弟は確かにあの当時最高のロックンロールスターであったことは間違いない。
当時の自分もそれをカッコよく思えた。
ただ、その数年前まではロックンロールスターというものの見方がだいぶ違っていた。
ニルヴァーナのカートコバーンが1994年に自殺する出来事があった。
僕は高校生の頃からロックミュージックにどっぷり影響されてました。
どんどんショーアップされていくロックシーンが当たり前になっていた時にニルヴァーナの登場は劇的なものだった。
派手に着飾りいつのまにかセレブになっていったロックスター達を軽蔑し、ひたすら自分達の音楽を地に足のついた活動で表現していく様がヒットチャートを駆け上っていく姿は痛快だった。
だけど今度はそのカートコバーンがロックスターと言われるようになった。
急激な売れ方で自分を制御できなくなったのか、誰も信じられなくなったのか、本人がどのような心境だったのか僕にはわからないがカートは自ら命を絶つことになった。
19歳の僕にはショッキングなニュースだった。
ロックスターと言われるものは決してカッコ良いものではなく、むしろ重い十字架を背負わされるもののように思えたし、ロックスターと言われることがダサいと思うようになっていた。
カートが亡くなって数ヶ月後にオアシスのデビューアルバムが発売された。
一曲目のロックンロールスターでは「今夜俺はロックンロールスターだ」と歌い、
名曲リヴフォーエバーでは「永遠に生きたい」と歌う。
カートの死後の暗い風潮を吹き飛ばす強烈なデビューだった。
国は違えど、両者にはハングリーな精神と至宝級な楽曲があるし、対極に見えるが僕には共通するところがとても多くあると感じている。
あの毒舌なノエルギャラガー はカートコバーンの事をやっぱり悪く言うのかなぁ。
まぁそれがあの人のキャラだしなぁ。
と思ってたけどインタビューでこう答えていたことがあったらしい。
「カート・コバーンには会ってみたかったよ。カートには昔から親近感を感じてたからね。同じ左利きだし、目が青いし、俺みたいにビートルズが好きだからね。一緒につるんでバカ話とかしてみたかったよ」
ニルヴァーナの『ネヴァーマインド』については「傑作というのはすべて時の経過とともにますます偉大さを増すものなんだよ。時代に褪せることがないんだ。『ネヴァーマインド』は今聴いても、ロックの未来のような音を鳴らしているからね」
生きていれば今頃はアメリカのジョン・レノンになっていただろうとも語っている。
本音かどうかはわからんがこれを見た時ちょっと涙ぐんでしまった。
ロックスターになったことが原因だったのかわからないが、命を絶ってしまったカートと兄弟の絆を失ってしまったギャラガー兄弟。
両極に見えてやはり共通する何かを感じてしまう。
そんな秋の夜長でした。