2009年のメカルジン弾き語り

メカルジン

2012年05月11日 22:53


ようやく、メンバーみんながそれぞれの道を歩み始めた。

活動休止ではあったけど、逆にメンバーそれぞれの前進だったと思う。
だから活動休止して良かったことでもあったのだ。


俺はEASTWOMANが活動休止したあと、しばらくして弾き語りを始めた。


今までずっと続けていた音楽活動を止めてしまうのが不安だった。


なぜ弾き語りだったかというと、しばらくバンドをやる気にはならなかったのと、一人で手っ取り早く自分の曲ができるからだった。




でも弾き語りというのはそんな甘いものではなかった。



弾き語りというものをこれまであまりやったことがなかったし、作る曲はいつものようにバンドサウンドを意識した風になってしまっていた。



月に一回くらいのペースで弾き語りライブをしていたのだけれど、お客さんの反応はイマイチ。

他に出演していた弾き語りの人たちはとても上手で、にわか仕込みの俺は自分の弾き語りに自信を無くしていき、しばらくして弾き語りもやらなくなった。







音楽活動の止め方はわからなかったが、自信を無くしていったことで音楽への熱意がだんだん下がっていき、フェイドアウトしたような感じだった。






その頃、俺は某アパレル店員をしていて、EASTWOMAN活動休止と同じタイミングで社員にしてもらった。


しばらく仕事に集中するようにした。


その時の仕事仲間たちはとても良い人達ばかりで、よく飲みにも行ったし音楽をしなくなった俺には心のより所になっていた。






でも実は、曲を作ることはやめてなかった。

逆にライブをしなくなってからの方がどんどん曲ができた。

小さなMTRにリズムマシーンでドラムを打ち込み、ベース、ギターを重ね、練習スタジオで個人練習に入り歌を録り、パソコンでそれを編集したりしていた。


そうだ、やっぱり音楽がやりたい。


弾き語りではなく、バンドがやりたかった。




そして今度は自分のやりたいことをとことんやれるソロ活動としてのバンドをやりたかった。






そこでノーズウォーターズのヘンザンを誘った。


ヘンザンとはとても気が合った。

よく飲みにも行ってたし、仲が良かったし、ベースプレイヤーとしても好きだった。


ノーズウォーターズの合間で構わないから手伝って欲しいとお願いしてやってくれることになった。


ドラムはEASTWOMANのモトキに頼んだ。

モトキは暇そうにしていたし、やっぱりEASTWOMANのメンバーには音楽を続けて欲しかったからだ。



バンド名は何にしようか考えたんだけど、ヘンザンが「ソロプロジェクトにするならメカルジンでいいんじゃない?」と言ってくれて、めでたく最初のメカルジンバンド結成となった。



ただ、俺はもうバンドで成功するということは考えてなかった。


東京でもう少しだけライブをしたかった。




来年、沖縄に帰ることを心に決めていたからだった・・・




一番最初のメカルジンバンド。ノーズウォーターズのヘンザンとEASTWOMANのモトキ。
これも面白いメンツでした。

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